世界初の歯のマニキュア誕生秘話|1964年、妻の笑顔から始まった歯の化粧文化

1964年に誕生した世界初の歯のマニキュアと歯の色の悩みから始まった開発ストーリー

一人の笑顔を取り戻したい。その想いは、やがて60年以上続く「歯の化粧文化」へ

1964年、世界で初めて「歯のマニキュア」が誕生しました。

それは、新しい化粧品を作ることを目的として始まったものではありません。

すべての始まりは、とても身近な一人の女性が抱えていた 歯の色の悩みでした。

「妻の笑顔を取り戻したい。」

その願いから、歯のマニキュアの歴史は始まりました。

妻の笑顔を取り戻したい

開発者の妻は、長年、歯の色に悩みを抱えていました。

人前で思い切り笑えない。
写真撮影の時には、口元を隠してしまう。

その姿を見て、開発者は考えました。

「歯を白くする術はないだろうか。」

この問いこそが、歯のマニキュア誕生の原点です。

そこからたどり着いたのが、

「歯にも化粧をして、白くすることはできないだろうか。」

という、それまでにない発想でした。

不可能と言われた「歯に付ける」技術

しかし、その発想を実現するためには、大きな壁がありました。

歯科医に相談したところ、 「歯に液剤を付着させることは不可能だ」 と否定され、罵声まで浴びせられたといいます。

しかし、そこで諦めることはありませんでした。

本人曰く、

「ナニクソ!」

そこから研究を重ね、何度も試行錯誤を繰り返しました。

実験台となったのは、創業者自身の歯、妻の歯、 さらには娘の生えたばかりの永久歯の前歯2本。

家族とともに何度も実験と検証を重ね、 ついに歯の表面に液剤を接着させる技術を確立し、 特許を取得します。

そして1964年、従来にはなかった、 自宅で誰でも歯を白くメイクすることができる 世界初の「歯のマニキュア」が誕生しました。

一人の女性の悩みを解決したいという願いから、 それまで存在しなかった「歯を化粧する」という 新しい選択肢が生まれたのです。

1964年に開発・商品化された世界初の歯のマニキュア
1964年に開発・商品化された、世界初の歯のマニキュア。

不可能を可能にして「歯に付く」から、ハニックへ

「歯に付けることは不可能」と言われた技術を、 何度もの研究と試行錯誤の末に実現した創業者。

歯の表面に液剤を接着させる技術を確立し、 世界初の歯のマニキュアが誕生しました。

その後、会社の名前を考えていた時、 創業者の母から出た言葉が、

「歯に付くから、ハニック」

それが、会社名の由来となりました。

創業者の妻の歯の悩みと世界初の歯のマニキュア開発、ハニックの由来を紹介する開発ストーリー
妻の歯の悩みから始まり、不可能と言われた技術への挑戦を経て誕生した歯のマニキュアと「ハニック」の由来。

世界初の商品を「知ってもらう」という次の壁

歯のマニキュアを開発すれば、すべてが解決したわけではありませんでした。

世界初の歯のマニキュアの発売は、 歯科業界にも一般市場にも大きなインパクトを与えました。

しかし、「歯を白くメイクする」という商品は、 それまで世の中に存在していません。

存在しなかったものを理解してもらい、その価値を知ってもらう。

認知を広げていく道のりは、まさにいばらの道でした。

三越本店で販売を開始することができたものの、 その後に続く販売店はほとんどありませんでした。

その一方で、当時の三越のバイヤーから、 忘れられない言葉をいただいたと伝えられています。

「とても素晴らしい商品だが、売れるのは三世代目。未来の商品だ。」

1964年当時、「歯を白くメイクする」という考え方は、 それほど時代の先を行くものでした。

それから60年以上。

社会は変わり、美しさに対する価値観も多様化しました。

さらに、SNSやYouTubeなどの発展によって、 それまで知られていなかった商品や文化を、 多くの人へ直接伝えられる時代になりました。

かつて「三世代目」と言われた未来は、 まだ少し先なのかもしれません。
けれど、その未来はすでに始まっている。

私たちは今、そう感じています。

夫婦二人三脚で全国へ

もちろん、その未来をただ待っていたわけではありません。

歯のマニキュアという、それまで存在しなかった商品を知ってもらうため、 創業者の深山は妻を伴い、 北海道から九州まで全国各地を営業して回りました。

商品を取り扱ってくれる店舗では、 妻をモデルに、深山自身が妻の歯へ歯のマニキュアを塗って見せる 「実演」も行いました。

開発のきっかけとなった妻が、 今度は歯のマニキュアを世の中へ伝えるためのモデルとなったのです。

夫婦二人三脚で地道な営業活動を積み重ねることで、 少しずつ「歯のマニキュア」という、 それまでになかった商品が知られるようになっていきました。

笑顔を取り戻すための技術は、さらに進化する

販売活動と並行して、製品そのものの改良も続けられました。

自然な色合い。
美しい仕上がり。
持続性。
塗りやすさ。
安全性。

一つの課題を解決すれば、また次の課題が生まれる。

より良く、より使いやすい歯のマニキュアを目指し、 研究と改良が積み重ねられていきました。

こうして創業者が生み出した 「歯にも化粧」という発想と技術は、 次の世代へと受け継がれます。

現在の社長は、 薬剤師としての専門知識を生かし、 創業者から受け継いだ技術をさらに発展させるため、 研究・開発を重ねてきました。

その結果、仕上がり、持続性、塗りやすさ、機能性など、 歯のマニキュアの性能は大きく進化しました。

1964年に生まれた一つの発明は、 世代を超えて研究・開発が続けられることで、 現在のさまざまな歯の化粧品へと発展しています。

今では、目的や性能に応じた独自のグレードを 展開するまでになりました。

1964年の誕生から現在と未来へ続く歯のマニキュア技術の進化ロードマップ
1964年の誕生から60年以上にわたり積み重ねられてきた、歯のマニキュア技術の進化。

私たちが大切にしているもの

商品を販売していて、一番うれしい瞬間があります。

「笑えるようになりました。」
「写真撮影の時、口元を気にしなくて済むようになりました。」
「子どもが笑顔になりました。」
「結婚式で思い切り笑えました。」

そんなお客様の言葉をいただく瞬間です。

歯の色が白くなることは、 単に見た目が変わることだけにとどまりません。

その人の表情や気持ち、 時には自信まで変えることがあります。

だから私たちは、歯の化粧品を単なる 「歯の色を変える商品」ではなく、 「笑顔を支える商品」 だと考えています。

一人の女性の歯の色の悩みから始まった歯のマニキュアが、60年以上にわたり多くの人の笑顔へつながってきたことを表現したHANICのイメージ
一人の笑顔を取り戻したいという想いは、現在も歯の化粧品づくりの原点です。

歯の色の悩みに、もう一つの選択肢を

歯の色の悩みは、すべてが同じ原因によるものではありません。

歯の状態や変色の原因によっては、 一般的なホワイトニングでは希望する白さを得ることが 難しい場合があります。

また、義歯など、 ホワイトニングとはそもそも対象やアプローチが異なるものもあります。

歯のマニキュアは、歯そのものを漂白するものではありません。

歯の表面を白くメイクする。

異なる方法で歯の色の悩みに向き合うために生まれた 歯の化粧品です。

だからこそ、私たちは歯のマニキュアを 単に歯を白く見せる商品ではなく、 歯の色に悩む方にとっての、 もう一つの選択肢として育ててきました。

受け継ぎ、進化させる責任

1964年から続く歯のマニキュアの研究・開発は、 一度完成して終わりというものではありません。

現在も、さらなる研究・開発を続けています。

その理由は、新しい商品を増やすためだけではありません。

今、歯のマニキュアを必要としてくださる方。

そして、これから先の未来で必要としてくださる方。

その方々の笑顔を支え続けるためです。

私たちは、世界で初めて歯のマニキュアを開発した会社として、 受け継いできた技術と文化を未来へ 伝承し、さらに進化させていきます。

1964年、「不可能だ」と言われながら始まった挑戦。

そこで諦めていたなら、 今日の歯のマニキュアも、 歯の化粧文化も存在していなかったかもしれません。

「ナニクソ!」から始まった挑戦する精神もまた、 技術とともに受け継がれてきたものの一つです。

歯の化粧文化を未来へ

歯のマニキュアは、単なる美白商品ではありません。

「歯にも化粧という選択肢がある。」

一人の女性の笑顔を取り戻したいという願いから生まれたその発想は、 やがて「歯の化粧文化」へと発展し、 60年以上にわたり受け継がれてきました。

開発者とその妻、家族から始まった挑戦。

それを全国へ伝えるための夫婦二人三脚の活動。

そして、次の世代による研究・開発。

一人の笑顔を願って始まった挑戦は、 今では多くの方の笑顔につながっています。

そして今、 かつて「三世代目」と言われた未来が、 少しずつ始まろうとしています。

私たちは、その先の未来へ笑顔をつないでいくために、 これからも技術を磨き、 歯の化粧文化を育て、次の世代へ伝承していきます。